Dr.伊藤のひとりごと

医療

Trust meという言葉がある。約束を守らなければ完全に個人の信用を失ってしまうし、国と国の約束であれば更にこの言葉は重く国益や国の威信に関わることにもなる。結局このTrust meという言葉が最後まで皆を惑わせ政権をぐらつかせ、政治とお金の問題も併せて首相が退陣に追い込まれた。
言葉は人類の象徴であり、人間同士のつながりである。Trust meなどといったかっこ良い言葉を使えばよいのではなく、いかにその言葉に責任を持ち、実行するかが重要である。

医療でも言葉は大事である。何気ない言葉で相手を傷つけてしまうことも多い。言葉でその人の人生が変わることもある。私の尊敬する諏訪中央病院名誉院長である鎌田 實先生が書かれた『言葉で治療する』という本の最初の文章に「病にかかったとき、患者さんと家族は医師や看護師からかけられる言葉しだいで、治療を受ける日々が天国にも地獄にもなる」と書かれてある。医療訴訟が多くなった昨今、安易にTrust meとは言えない。何か問題が起きると「あなたは私を信用しろと言ったではないか」ということになる。

医療の現場、とくに精神科やがん治療では極めて言葉使いには注意が必要である。私は、精神科やがん治療を受けている患者さんには「がんばってください」という言葉よりも鎌田 實先生の受け売りではないが「がんばらないでください」と言うことにしている。彼らは十分苦しみ、がんばっているわけであるから、がんばれと言われても、これ以上私にがんばれというのかと受け止められかねない。このような患者さんには「無理をしていませんか、自分のできることをやっていただければ十分ですからね」と話すようにしている。時には「よくがんばっていらっしゃいますね。何かさせていただけることがありますか」と話すこともある。ほとんどの患者さんは「そういっていただくとありがたい」と言ってくれる。

私のところにはうつ状態の患者さんが比較的多く来院する。うつ病の患者さんを私みたいな非専門医が診察するのはあまり好ましいことではないが、精神科の専門医を紹介しようとしてもなかなか患者さんは承諾してくれない。精神科や心療内科の敷居はいまだに高いようである。このような患者さんを診察するのは自分にとってかなり荷が重く、ストレスである。私は精神科の先生を『言葉の専門家』と考えており、いつも精神科の先生方のご苦労には感服している。

一昨年であったか、ある小学校の移動健康教室で小学生を対象に健康と命の大切さの講義をさせていただいた。生きることを共に考え、命の大切さを訴えるために「命の授業」を全国の子どもたちに行い、乳がんと向かいながら生き、癌が再発して亡くなった山田 泉さんの話を紹介した。彼女は担当したお医者さんから「つらかったでしょう。よくがんばりましたね」と優しい言葉をかけてもらったときは、涙が出るほどうれしかったと話している。相手を思いやる心のこもった優しい言葉には重みがあり、とくに「医療現場ではどんな薬よりも有効かもしれない」ということを命の大切さの話と合わせて小学生にお話をさせていただいた。

最近、患者さんには医学専門用語を少なくして、わかりやすい言葉で心を込めて丁寧に説明をするようにと言われている。当たり前のことではあるが、結局その当たり前ができていないわけである。今後、言葉の授業が医学教育では必要になるであろう。医療における言葉の重みについて書いてはみたが、実際、自分の医療現場を振り返ると、田舎のおじいちゃん、おばあちゃんには「先生に任せてあるから、説明はいらない」と言われてしまう。結局は言っている事とやっていることが矛盾している私である。

今回も、綺麗事を長々書いてしまったが、頭ではわかっていても、これをいつも実行できないのが自分であり、皆にまた『偉そうに!』と言われそうである。いつも自分を反省しつつ、私たち医療者は言葉の重みを常に実感しながら、人間同士のつながりを大切にした医療を心がけたいものである。