Dr.伊藤のひとりごと

外科医2年目の進路

医師国家試験に合格して研修医になり、とりあえず外科の道に進んだが、さて卒後1年目に外科の中のどの専門分野に進むかという悩みがでてきた。4ヶ月ごとに呼吸器外科、心臓血管外科、消化器外科(その中に小児外科が含まれていた)とローテーションをしたが、どの科もそれぞれ面白かったため進路に悩んだ。最終的に将来開業を考えなければならないとすれば、やはり応用範囲が広い消化器ということで消化器外科を選ぶことにした。

消化器外科といってもそれがまたいろいろな専門分野に分かれていた。すなわち食道や胃などの上部消化管外科、肝胆膵臓外科、大腸肛門外科が主体でその他として小児外科があった。僕は医学生のときから子ども関係は好きであったので小児外科を選びたかったが、これは専門中の専門であり、好きといっても将来これで飯は食っていけないことは容易に判断できた。

まずは、一般外科の技術を身に着けなければ成らず、卒後2年目の研修施設はどこにするかが問題となった。消化器外科の研修医は8名。研修施設は大船中央病院、大月中央病院、目黒厚生中央病院、東京医大霞ヶ浦病院、大学病院残留と麻酔科研修の選択となった。大学に残っても手術はあまりやらせてもらえないだろうし、手術の実力はつかないだろう。大学には大学院を選んだ連中が残ることになるだろう。麻酔科の研修は後でもできる。大船や大月は距離的に遠い、だが、大船は鎌倉や湘南に近いのは魅力的であり遊ぶには最高の場所。目黒の厚生中央病院は近くで今の住まいから近く通勤が楽で、今の彼女とも会いやすいが、給料は最低。霞ヶ浦病院はポリクリの臨床実習で半年ほどお世話になったので知り合いも多い。

さてどこにするかを悩んだわけだ。その時、これがそれほど重大な選択とは思わなかったが、今考えるとこれが同期8人の外科医にとってその後の人生の一つの重要な分岐点となった。最終的に僕は6ヶ月が目黒の厚生中央病院、その後に東京医大霞ヶ浦病院という選択をした。卒後2年目の外科研修が始まった。