Dr.伊藤のひとりごと

初めての手術の執刀

初めて自分が手術の執刀をしたときから話をしよう。小手術は別としてぼくが始めて術者として手術をしたのは、医者になって4ヶ月目のことでであった。症例は20歳代の男性で、病気は虫垂炎であった。何とか手術はうまくいき、手術中は特に問題はなかった。手術当日、ぼくは心配で病院に泊まり、夜に何度も患者さんの病室を訪れた。虫垂炎はほとんどが緊急手術のことが多く、新人外科医師の間ではこの手術の執刀をやったかやらないでいつも話題になっていた。

手術の執刀ができるには一種の運もあって、ぼくは手術の術者になるのが皆よりも遅かった。新人医師が手術をすると聞けば皆当然心配するであろうが、先輩の指導医師がしっかりついてくれるし、手術操作で危なそうになるとそこで術者は交代となる。外科医が育っていくためにはこの積み重ねが必要であり、いかなる外科の名医もこの訓練を受けて一人前の医師になっていったのである。オーベンである先輩先生がぼくにいつも話してくれたことは「外科は唯一合法的に人の体にメスを入れることのできる職業である。それはある意味ではひとを傷つけるということになる。それだけに外科医の責任は重大であり、いつも腕を磨くべくトレーニングを怠ってはいけない。トレーニングとはまず糸結びをいかに早く確実に行うかであり、そのほかに手術のシュミレーションを手術前に頭の中で復習しておき、いつでもその手術ができるように準備しておくことである」ということであった。

今までにかなりの手術を行ったが、初めての手術はやはり緊張した。新生児の食道閉鎖症、腸閉鎖症、臍帯ヘルニア、腹壁破裂、胃破裂などかなりの赤ちゃんの手術もやらせてもらった。鎖肛、ヒルシュスプルング病、胆道閉鎖症、胆道拡張症、腹部悪性固形腫瘍も数多く行うことができた。先輩先生から皮肉を言われながら受けた指導、思うように行かなかったとき(失敗という意味ではない)の悔しさともどかしさ、出血したときのあせり、術後合併症など本当にいろいろ経験した。

手術はやはりこの仕事を選んだだけに面白かった。自分の技術が上がっていくのも心地よく、階段を一歩一歩上がっていく自分の姿も実感できた。外科医10年でだいぶ自信がついた。しかし、その頃ある先輩T.Aから呼び出された。「伊藤。うぬぼれるなよ。お前がこども病院で研修している間、お前の仲間は出張病院で苦労していたことを忘れるな。お前はみんなより幸せな道を与えられたことに感謝しろよ」。ぼくは何かで殴られたように頭にガーンときた。別にそのようなつもりはなかったが、先輩にはそう見えたみたいである。ぼくがそのような態度であったことに対し反省したが、恐らくT.A先生はぼくが大学を辞める最後までぼくをそう見ていたかもしれない。また、このようなこともあった。ある先輩K先生との会話である。ぼくがこども病院から帰ってきて自分の大学病院のやっていた治療をみてから一言いった「今の大学の治療はチベットの医療みたいに遅れている」。そこで先輩が一言。「伊藤。お前はチベットを馬鹿にするのか。チベットに対し謝れ。」かなり叱られた。言葉使いは大切で失言は命取りであると思った。

外科医10~15年ではさらに実力をつける時期であった。その間アメリカのUCLA medical centerに肝移植や小児外科の臨床研修をするため留学し、実際に手術に参加した。そこでの生活は厳しかったが、得るものも大きかった。それ以後は特別手術を除いては後輩を指導する立場となった。本音を言うと指導より自分で手術を執刀するほうが楽しかった。指導はやはりいらいらした。そのとき教えてくれた先輩先生や上司のことを考え、自分も今までいらいらさせたことに気づき始めて彼らに深く感謝した。