Dr.伊藤のひとりごと

あっ、チューブが抜けちゃった。

MMちゃんの手術後の経過は特に問題もなく、一週間が経過した。保育器で管理をしていたのであるが、この保育器というのが結構扱いにくい。アクリルでできた1m×60cmぐらいの透明な箱で温度や湿度が均等に保たれる仕組みになっており、両方の側面に手の入れる丸い窓穴が2つあいている。そこから消毒した両手を入れて点滴や手術の傷の処置をしなければならない。慣れていない新人医師にはそれは一苦労であった。手術後のためMMちゃんには色々のチューブがつながっていた。手に1本、足に1本の点滴。おなかにはドレーンという管が2本、鼻からは十二指腸を超えて入っているEDチューブが1本。その他おしっこの管が1本。○月○日、ぼくは看護婦さんといっしょにいつもの外科処置をしていた。担当看護婦さんの一人に反対の丸窓から赤ちゃんが動かないようにおさえてもらい、もう一人の看護婦さんは器具や消毒薬のついた綿球をぼくに渡してくれた。ぼくは傷の消毒をして最後にガーゼをあてて処置が終わるはずであった。それはほんの一瞬の出来事であった。赤ちゃんから一瞬目を離し、もう一度中をのぞいて見るとなんとなんと赤ちゃんの右手に鼻から入っていたチューブが握られているではないか。しかもそれをMMちゃんは振っているではないか。えーーーーー、うそーーーーー。ぼくの額や背中から冷や汗がたらーと落ちた。赤ちゃんを抑えていた向かいの看護婦さんも泣きそうな顔。どうしよう。どうしよう。大変だ。この子は大丈夫?ぼくの取ったばかりの医師免許も剥奪か?先輩にきっとめちゃくちゃ怒られる?始末書?などなどいろんなことが頭の中を駆け巡った。あせったぼくは処置の看護婦さんに一言。「大至急医者を呼んでくれー」。よく考えたらぼくもそのときは一応医者の端くれであった。赤ちゃんはというとお鼻の管が抜けてすっきりとした顔。すぐに先輩がやってきた。「どうした?」ぼくは泣きそうな顔でチューブを抜かれてしまったことを告げた。先輩は冷静に怒りもせず、「大丈夫だと思うけど、まず造影検査をしよう。伊藤レントゲン室を確保してこい」。とのことであった。レントゲン室で検査が行なわれ特に問題なく、胃の中にもう一度チューブを入れて経過を観察することになった。幸いなことにちょうど先輩はそろそろそのチューブを抜こうと考えていたらしい。その後の赤ちゃんの経過は良好で、そのうちミルクを飲めるようになりじきに退院した。ぼくの医師免許剥奪も始末書も逃れられた。ちなみに、今彼女は大学生になっている頃だ。つづく。